「而今(にこん)」とは、禅の言葉で「今、この瞬間」を意味します。過去にも未来にもとらわれず、ただ“今”という時間に心を置く──。オーナー様が掲げたこの一語が、本プロジェクトの出発点となりました。私たちの役目は、その思想をどう空間に置き換えるかを考えること。「今、この瞬間」のあり方を、設計というプロセスを通して空間に表していきました。
“充つる”という設計──訪れる人が完成させる空間
美大出身で、小説の執筆など創作活動を続ける「而今いいかわ」のオーナー様。ご依頼のきっかけは、クロノバデザイン代表のセミナーをご視聴いただいたことでした。「客が個性と衣服の色彩をもって来店し、その加算によってはじめて店が“充つる”」。この印象的な言葉もオーナー様から寄せられたものです。空間を完成させるのは、訪れる人の存在であるというまなざしは、設計に携わる私たちにとっても深く心に響くものでした。
デザインコンセプトは、14坪という限られた面積を最大限に活かし、大将ひとりでも無理なく切り盛りできる導線、そして「簡素な空間に、意匠としての“すき”を宿す」こと。お客様の来店があってはじめて店が“充つる”ために、私たちは空間に余白と緊張感のバランスをもたらす設計をご提案しました。
耳付きの一枚板カウンターを中心に据え、素材の力強さと美しさをそのまま空間に取り込みました。天井はあえて下げ、上部をブラックアウト。カウンターを浮かび上がらせるように見せることで、空間にほどよい緊張感と静けさを生んでいます。丁寧に納めた“耳”の曲線は、特別なひとときを過ごす場にふさわしい、上質な空気感を添えています。
カウンターはあえて“くの字”に。お客様を柔らかに迎え入れる演出を意識しました。カウンターの内側は、大将が自由に動き回れるオープンキッチンに。その場で料理が生まれ、会話が弾む。ライブ感にあふれた、まさに“今この瞬間”を味わう場所になりました。
カウンター席の奥にはテーブル席を設けました。扉を閉めれば個室になり、大切な人たちとの特別な時間をゆったり過ごすことができます。壁面に設けた飾り棚にも耳付きの一枚板を。スポットライトがやさしく照らし、自然の木が持つ温もりが空間に広がります。御簾戸(みすど)は、外と内を緩やかに隔てる建具として採用。格子越しに光や気配を感じさせるこの扉は、どこか懐かしさを残しながらも、現代の空間にすっと馴染む意匠となっています。
言葉を、空間に映す
「而今いいかわ」は、凛とした佇まいのなかに、人を迎え入れる親しみやすさが漂う──そんな“今この瞬間”を味わえる空間になりました。このプロジェクトは、空間と言葉の関係を改めて考える貴重な機会となり、言葉を扱うプロフェッショナルであるオーナー様と、空間のあり方を模索していく過程は、私たちにとってもかけがえのない時間となりました。

DETAIL
店舗詳細
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DATA
店舗情報
- 店名
- 而今いいかわ
- 住所
- 東京都港区西麻布4-4-12 ニュー西麻布ビル 4F
- Web
- https://www.instagram.com/nikon_iikawa_sushi_izakaya/#
- 広さ
- 11.12 坪
- 竣工
- 2025年2月